ボルドー地方を巡る三つの地名について
ボルドーワインやその周辺について調べていると、三つの地名にしばしば遭遇します。「アキテーヌ」「ガスコーニュ」「ギュイエンヌ」です。
歴史的には「アキテーヌ」と「ガスコーニュ」が古く、「ギュイエンヌ」は両者が指す地域が重複しだしてから出てきた地名のようです。
位置的にはどちらかというとガスコーニュの方が南寄りで、ピレネー山脈を経てスペイン北部とも深い関係があります。
中世には領地名として並置されていた時期もあり、その場合には「アキテーヌ」の方がボルドー周辺、「ガスコーニュ」の方がより南側のスペイン寄りになっています。
「アキテーヌ」は古代ローマの英雄・カエサルによるガリア征服以前からいた「アクィタニ人」というのが起源です。
一方、「ガスコーニュ」はスペイン北部〜ボルドー近辺に同じ頃に住んでいた「ヴァスコン人」というのが訛ったようです。
フランス南部〜スペイン北部の大西洋側にかけてはバスク人という民族がいて、スペイン側にはバスク語というのが残っており、スペイン語では「バ」と「ヴァ」を区別しないので、バスク人の祖先と考えられます。
言語的にはバスク語は周りのどの言語とも似ていない(他言語の語彙を取り入れたりはしている)そうで、系統不明の言語とされています。
アクィタニ人がケルト人の一派だとすれば、ヴァスコン人はそれ以前から住んでいた先住民族的な存在かもしれません。
この地方全体の地名の話に戻ると、カエサルによる征服からローマ帝国の盛期は「アクィタニア」で、その後中世になってフランス語化して「アキテーヌ」になります。
更に、「アキテーヌ」が綴りで変化を起こした「ギュイエンヌ」(どうやら筆記体でqとg、tとlを混同したのがきっかけのようです)というのも出てきます。
「ギュイエンヌ」は、イギリスがアキテーヌとガスコーニュを支配していた時期が中世後期の約300年間続いた結果、イギリスが支配する地域全体を呼ぶフランス側の名称として定着したそうです。
一応「アキテーヌより南側」ということになっていたガスコーニュですが、イギリス支配の間にアキテーヌとの一体化が進んだようで、アキテーヌ、ギュイエンヌ同様、両地方全体をさすようになります。
更にはボルドー付近も「ガスコーニュ」と呼ばれるようになり、「ガスコーニュ州」に含まれた時代もあったようです。
その後、フランス支配に戻って州名が「ギュイエンヌ」に変わりましたが、「ガスコーニュ」はほぼ同義語として通用していたようです。
以前紹介した、ルイ15世の愛人であるポンパドゥール侯爵夫人にシャトー・ラフィットを紹介したリシュリューが「ギュイエンヌ州」の総督でした。
近代に入り、「ガスコーニュ」はガロンヌ川以南、「ギュイエンヌ」はそれ以北ということになったそうですが、ボルドーのあるジロンド県は両方を含むので、どちらかだけを使うわけにもいかなかったんでしょう。
結果、この地方のワインコンクールの名前は「アキテーヌ・ボルドー」を名乗ることになったと思われます。
アキテーヌなのでボルドー以外からも応募があり、南西地方(ボルドー以外のフランス南西部のこと)のワインもボルドーと共に評価されて、しばしばボルドーワインを抑えて受賞したりしているので、新興ワイン生産者を探す意味でも、興味深いコンクールとなっています。
コンクール受賞ワインは意外と安い(セットだとネットショップで一本あたり800円前後で買えます)ので、一度飲まれてみてはいかがでしょうか。