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戦国武将 ゆかりの寺 大徳寺

こんにちは! 放課後カムラックです。
今日は歴史の話を!
 
戦国武将 ゆかりの寺 大徳寺 
 
 
現在NHKの大河ドラマで放映されている「軍師 官兵衛」の時代は歴史的には戦国時代の真っ只中。
もう少し詳しく分類すると戦国末期にあたります。尾張(愛知県)からのし上がり、美濃(岐阜県)や伊勢(三重県)を瞬く間に手中に収め、京の都(京都市)に上洛して「天下布武」を掲げて天下統一をうかがう織田信長。
 
一方西国では、中国地方(山口県・広島県・島根県・鳥取県・岡山県の一部など)の覇権を確立した「毛利一族」(毛利元就・毛利輝元・小早川隆景・吉川元春など)が織田信長の最大のライバルとして存在してました。
 
そして、黒田官兵衛の居城である姫路城(兵庫県)を舞台とした付近を境界線にして西の毛利と東の織田の二大勢力がぶつかり合っていました。しかし、当時の姫路城は小さな砦みたいなところでした。
 
現在の姫路城は江戸時代に建てられたもので、あの有名な「暴れん坊将軍」の撮影にも使われています。別名、白鷺城(しらさぎじょう)としても知られていて真っ白な壁がとても印象的です。
 
また、桜の名所としても有名です。ソメイヨシノ、シダレザクラなどの桜がたくさん植えてあり、「日本の桜の名所 100選」にもなっていますので、春の観光スポットとしてはいいかもしれません。
 
話は官兵衛の時代に戻しますと、当時の日本の首都は京(京都府京都市)でした。
平安時代以来、皇族をはじめ、貴族や有力商人や文化人なども多数住んでいました。
また、文化の中心地でもあったので、寺社仏閣も多数ありました。もちろん現在でも京都市には当時からの寺社仏閣が多数存在しています。
 
その中でも代表的なお寺の一つとして「大徳寺」があります。
あの有名なアニメ「一休さん」のモデルとなった一休宗純(いっきゅうそうじゅん)や、「たくあん漬け」で有名は沢庵宗彭(たくあん そうほう)も大徳寺の住職を務めていました。
 
大徳寺は臨済宗大徳寺派の大本山です。いわゆる禅宗の一派で、よく「座禅」(正式には坐禅)という言葉を聞くと思いますが、この坐禅で悟りを開くことを目的としていたことにより、当時戦国時代でいつ命を落とすかわからない時代にこの臨済宗の教えがマッチしていたのかもしれません。
 
なので、臨済宗(禅宗)の、特に大徳寺を信奉していた大名がたくさんいたのです。
 
織田信長が「本能寺の変」で亡くなった際、豊臣秀吉(羽柴秀吉)が中心となって、主君信長の葬儀を執り行ったのもこの「大徳寺」です。そして現在、大徳寺の塔頭寺院で総見院(そうけんいん)、は織田信長やその一族の菩提寺となっています。社会の教科書では一度は見たことがある、信長公の木像があるのもここです。春や秋には特別公開されるので、ゴールデンウィークに京都に旅行へ行かれる方は是非おすすめの観光スポットになるかと思います。
 
ちなみに、塔頭(たっちゅう)とは大寺院の敷地内にある小さな寺院のことです。
これは高僧の死後、弟子がその師匠の徳を慕って建てられるようになったのが起源です。
それから、有力大名たちが自分の主君や父親の菩提を弔うためにどんどん建てられるようになっていきました。
福岡藩主黒田長政が父(黒田官兵衛)を弔うために建立した龍光院(りょうこういん)も大徳寺の塔頭のひとつです。(ただし非公開)
 
大徳寺は広大な敷地の中に多数の塔頭があり、国宝(狩野永徳の絵など)も多数あります。
一日では回りきれないくらいたくさんの見どころがありますので、長期休暇のとれるゴールデンウィークはその絶好の機会だと思われます。是非、一度足を運んでみてください。
 
 
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