スパークリングワインにまつわるあれこれ(2)
シャンパンについてもう少し詳しく
前回書いたような経緯で世に出てきたシャンパンですが、今のように人気を博するには権力者の助力も必要でした。
このコラムでシャトー・ラフィットをルイ15世に紹介したとして出てきたポンパドゥール侯爵夫人は、シャンパンもお気に入りで、「シャンパンは、飲んだ後でも女性が美しくいられる唯一のワイン」と評したという話があります。
ただ、当時スパークリングワインの需要が各国で伸びていたこともあり、ルイ15世にとっては輸出用の商品という側面が大きかったようで、地元の業者に他の欧州各国やアメリカ向けの飲料としてただちに生産を拡大させるように指示したそうです。
この業者が当時まだ事業を開始したばかりだった「モエ・エ・シャンドン」社の創業者で、命令に従って事業を拡大していきました。
その後、フランス革命の時代になりますが、混乱の中で頭角を現したナポレオン・ボナパルトも遠征先に持ってこさせるほどシャンパン好きで、「モエ・エ・シャンドン」社のシャンパンについている「IMPERIAL」の文字は、この時の「皇帝御用達」が起源だそうです。
こうしてシャンパンは、ヨーロッパ各国で人気を確立していきました。
現代では、シャンパンの製法はベースになるワインを作った後、瓶に入れてショ糖のシロップを注入して更に発酵させることで生まれた二酸化炭素が、瓶内で再びワインに溶け込んで泡になるそうです。
この溶け込ませる過程で、瓶を少しずつ回転させるなどかなり細かい手間がかかるようです。
ただ、シャンパンの細かい泡は、こうした手間を経た瓶内二次発酵時に生まれるそうです。
フランスのAOCという規則で、シャンパーニュ地方で作られたものであってもこの製法でないとシャンパンを名乗れないそうです。
更にはブドウ品種も指定があり、ピノ・ノワール、ピノ・ムニエなどのピノ系品種とシャルドネしか使えないそうです。
昔はシャルドネもピノ系の突然変異種だと思われていたらしく、ピノ系品種しか使えないと書かれている時代も長かったそうです。
ピノ・ノワールは通常、赤ワイン向けの品種ですが、赤か白かを決めるのは果皮の色なので、それを出さないように果皮を取り除いて作れば色のつかないシャンパンとして作れますし、フランスの最高級シャンパンであるドン・ペリニヨンなどのロゼ・シャンパンを作る際には途中で色が出るのを止める製法(これは普通のロゼワインでも同じ)で作るそうです。
だからなのか、シャルドネだけで作ったシャンパンには「ブラン・ド・ブラン(白の中の白)」と書いてあるそうです。
シャンパンには基本的にヴィンテージ(ブドウの収穫年)表記はありません。
これが普通のワイン(ステイルワイン)と一番違うところで、基本的に複数の年のものをブレンドして仕上げるそうです。
何故ブレンドするかというと、可能な限り同じ味にするためだそうで、かのドン・ペリニヨン修道士もブレンドの研究をやっていたそうです。
実はこのブレンドが、各メーカーの腕の見せ所だそうです。
特にブドウの出来が良かった年には、ヴィンテージを表記したシャンパンを作ることもあるそうですが、これは希少価値があって特に価格が高いので、私自身は見たこともないです。
ちなみに、正式には「フランスのシャンパーニュ地方で生産されたスパークリングワインの名前そのもの」もシャンパーニュと言うそうで、シャンパンというのは日本人が勝手につけた名前だそうです。
それ以外をシャンパーニュ/シャンパンと呼ぶことに関しては、かなり強硬に名義変更を求めている地元の組合ですが、「シャンパン」自体に関しては黙認状態のようです。
正式な国名がイギリスという名前の国はどこにもない(正式にはグレート・ブリテン及び北部アイルランド連合王国で、その中の地方名にしてもイングランドです)のに、日本人がイギリスと呼んでいるようなものでしょうか。
かつては日本でも、ソフトシャンパンなどの名前でシャンパン風の飲み物が売られていたのですが、現在は全くなくなったのも、地元の組合の活動によるものです。