もう少し前の話をすると、私は2009年に東京から福岡に移り住んでいる。
もっと前の話をすると東京の大学を卒業しゼネコンに就職し初めて配属されたところも福岡だった。
大学生の時かな。
寮だったんだけどみんなで「東京ラブストーリー」っていうドラマを見ててね。
今考えたらバカみたいな話だけど、私も就職したら東京で「東京ラブストーリー」みたいな恋愛色の濃い社会人生活を送ると本気で思っていたのだ(^^;
それが就職していきなりが福岡…
25年前当時、まだ福岡もそんなに良い意味でリスペクトされてはなく、新入社員研修で一緒だった同僚達に私の福岡配属を面白がってからからかわれたのを覚えている。
夜になると街中がとんこつ臭いとか、芋のくさいお酒を飲まされるとかねw
実際その通りだった。
すぐ慣れたけど。
それよりも人がとても親切で優しかったのを覚えている。
しかしやっぱり東京で働きたかった。
そしてゼネコン会社をやめて東京のソフトウェア開発会社、IT業界の門を叩く。
IT業界を選んだのはまさしくIT業界の波が来てたからだ。
これからはここだと思った。
これが1度目の福岡とIT業界に入るきっかけとなった経緯。
東京のIT会社はすごかった。
元アスキーの西和彦さんが顧問だった。
アスキーNTの社長さんが社長になったりもした。
IBMの大和工場で有名だった方も顧問で来た。確かDOS/Vの名付け親と聞いたような。
元社長でその後会長になってまた社長となった代表はとても業界での顔が広く発想も飛び抜けてて天才肌だった。
一流の方ばかりが集まっていた。
ただ、最初はなんのプロダクトもなかったので経営陣の経歴がすごかっただけ。
西さんとは何回か挨拶程度の会話をしてもらったけど本人は覚えてないと思う。
私はしっかりと覚えている。
ただし「ええで」「いけるで」「あかんで」の3つしか言われたことがないw
プロダクトが完成するとこれが売れに売れた。
私も営業部長になり数千万から億単位の商談ばかりしていた。
営業で全国を飛び回った。
年収も1000万を超えるプレイヤーとなった。
あの頃は自分の評価の物差しが年収だとばかり思っていたから嬉しかったね。
私も天狗になった。
もうどこの会社に行ってもどこの地域に行っても活躍できる、私を必要としてくれるところは沢山あると思っていた。
1000数百万円の年収の価値観なんてその会社での価値観でしかないのにね。
調子に乗っていた。
完全に社会での評価と勘違いしてた。
そんな中、妻から子育ては妻の生まれ育った福岡の街でしたいと言われた。
妻と知り合ったのは1回目の福岡。
結婚したのは私が東京に来てからなので実は結婚初日から単身赴任生活だった。
妻も東京で暮らそうとしたのだか2週間で駄目だった。
福岡の女性は本当に福岡を離れたくないという人がいるんですよ。
妻がまさにそう。なので2週間は結構頑張ったと思う。
よくやったよ。ありがとう。
ただし、ネズミさんの国だけは別らしいw
当時の社長に相談したら、家族は離れて暮らすよりも一緒に暮らした方が良い。
奥さんが来ないなら会社を辞めてお前が福岡に行けと言われた。
結構背中を押してくれた感じだ。
私も仕事に関しては調子に乗ってたから福岡での再就職も自信があったし一度は住んだことのある街だからと意外と悩まなかった。
というかすぐ福岡に行くことを決めた。
これが2009年の秋だった。
ここから2回目の福岡生活が始まる。
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