みなさま、社会不安障害(SAD)という病気はご存知でしょうか?
私自身がこの病気を患っていると認識したのはここ4〜5年であり、それまではただの性格の問題と思っておりました。
簡単に社会不安障害という病気について説明しておきましょう。
主に対人場面において、過度な不安と緊張に襲われ、動悸、赤面、発汗、手足の震え、身体のこわばりなどがあらわれます。
それにより、緊張する場面を自ら避けていくようになり、集団社会の中で孤立するようになっていき日常生活に支障をきたしてしまうという病気です。
思い返せば、私が恥ずかしいという感情をいだくようになったのは、小学校の父兄参観の日に予想外に先生に発表するようにうながされたことが最初でしょうか。
とても顔が紅潮したのを覚えています。(実際に鏡で確認したわけではありませんが)
それから、中学、高校と年齢を重ねるごとにその症状はひどくなっていったように思います。高校の時には発表するたびに顔が赤くなって、女子から陰でこそこそ笑われているのを感じました。
この病気を患われている方は、羞恥心を覚え始める思春期に発症する人が多いようです。
本人は、年齢を重ねれば自然によくなるだろうと思っている人が多いようです。
東京で一人暮らしをし、大学生活を送ることになった私は、大学でもクラスでの発表やゼミが苦痛になっていました。
時には酒を飲んで大学に通ったりし、友達から「酒臭いよ」と言われる事もあった始末です。
外に買い物に出るのさえ苦痛を感じていました。
そして次第に家にこもるようになり、大学も無断欠席を繰り返すようになっていました。
努力した結果、希望する会社に就職する事になったのは30歳にさしかかろうとする頃でした。
大変な仕事でしたが、やりがいのある仕事ではありました。
しかしながら、同僚とは仲良くやれていたものの、やはりこの場所でも上司とのコミュニケーション不足により、上司から一人無視されるといういじめにあい、退職する事になったのです。
思えば、この頃に、しっかりと自分の病気を認識し病院の門をたたいてみる勇気があれば、私の人生はすこし違った方向へ向かっていたかもしれません。
親にも仕事をやめた事は伝えてなかったため、数々のバイトをしながら生活しておりました。
基本的には一人で過ごすのがすごく楽でしたので、その生ぬるい生活に慣れてしまっていたような気がします。
そんな状態が長く続くわけもなく、親にも会社を辞めた事はばれ、実家に戻ることになった次第です。
病院に通いだしたのは、実家に戻りしばらくたってからでしたが、そこでやっと社会不安障害という病気なんだと自分で認めることができました。
親はまだその病気については、曖昧にしか認識してないようですが。
そんな経緯で、カムラックという会社でお世話になりはじめたわけです。
この会社で、僕がまず驚いたのが、社長、事務員の方をはじめ、みなさんが優しい方ばかりだという事でした。
人の痛みをわかっている、各々の障害の事を理解している、そんなところからくる優しさじゃないでしょうか。
もちろん、ぬるい環境ではなく、みなさん仕事はきちんとこなしておられます。
こんな会社が日本全国でどのぐらいあるのでしょうか。
こんな会社がもっともっと日本中いや世界中に増えてほしい!いや増えるべきだ!!
こういう会社でなければ、今自分がどういう障害で苦しんできたのかという記事は書けなかったことでしょう。
きっとせっかくの能力を障害や病気のために発揮できてない人はたくさんいるはずです。
そういう人達にもっと能力を発揮して欲しい、そんな環境作りに微力ながら参加したいと思っています。