テーマ:「自分で選んで生まれてきたわけではない」というのは本当か?
まずはじめに、このようなテーマをここで取り上げる理由を述べます。
1つは、病気や障がいなどの状態になったりしますと、それが苦しかったりすると、「あー、私は何でこんな苦しい思いをしなければならないのだろう?自分から選んで生まれて来たわけでもないのに何で?…」なんて思ったり感じたりする人が多いかもしれません。
病気や障がいなども含め苦しみが多い人は、どちらかと言えば、人生に悲観的なほうだったりニヒリスティックになる人が、健康な人達と比べて多いと思われます。
また、特に苦しい事がない人でも、「自分から選んで生まれて来たわけではないしね…」なんて当然のように思われる方がほとんどではないでしょうか。
これを書いた1つの理由は、そのよな「自分から選んで生まれて来たわけではないしね…」というような考えが、論理的・現実的には正しいことではありませんよということを明らかにすることもあります。
「自分で選んで、もしくは、必然的に生まれてきた」ということが論理的・現実的に有り得ることならば、何かしらの意味があって生まれてきたということができます。
そうなると、「あー、私は何でこんな苦しい思いをしなければならないのだろう?自分から選んで生まれて来たわけでもないのに何で?…」の「何で?」に何かしらの意味や意義や必然性などがあって生まれて来たのだと言えることになるでしょう。
そうなると、悲観やニヒリズムに陥る必要もなくなります。
このようなことが、これを書く1つの理由でもあります。
さて、「自分で選んで生まれてきた訳ではありませんから…」というような言葉をたまに聞きますが、これは論理的・現実的に確かなことでしょうか?
そんなの当り前でしょう?と思われる方が、けっこう多いようですが、これはよく考えると、当たり前のようで当たり前ではない、論理的にも現実的にも確かなことではありません。
それはなぜかと申しますと、この「自分で選んで生まれてきた訳ではありませんから…」という考え・問題は、論理的・現実的には、「真」ではない、というのが結論だからです。
「自分で選んで生まれてきた訳ではありませんから…」という考えの根拠がいい加減で、論理的でも現実的でもありません。
一見、当たり前のような「自分で選んで生まれてきた訳ではありませんから…」という考えや現実の根拠は、実は、当然でも確実でもないのです。
「自分で選んで生まれてきた訳ではありませんから…」という考えは、正しくは、「自分で選んで生まれてきたのか、または、そうでないかのどちらかです。」というのが、当然ですが論理的・現実的に正しい考えです。
それを、「自分で選んで生まれてきた訳ではありませんから…」と言うと、100%そうであると言うことになり、そうでない可能性を否定することになり間違いになります。
そうでない可能性「自分で選んで生まれてきました」が0%なら成り立つのですが、「自分で選んで生まれてきました」は有り得ない事のようですが、論理的・現実的には、そうではありません。
よって、「自分で選んで生まれてきた訳ではありませんから…」ということは、論理的・現実的には間違い(偽)になります。
「自分で選んで生まれてきた訳ではありませんから…」という考えの根拠をずっと突き詰めて行くと、確実な根拠がなく、「自分で選んで生まれてきた、もしくは、必然的に生まれてきた」という考えも論理的・現実的には成り立たないわけではありません。
それなのに、なぜだか経験的にでしょうか?後者の考えを破棄・無視しているということになります。
まるで当然のように、「自分で選んで生まれてきた訳ではありませんから…」という考えが非論理的・非現実的にまかり通っているようです。
繰り返しになりますが、「自分で選んで生まれてきたわけではない」ということは論理的・現実的には間違いであり、「自分で選んで、もしくは、必然的に生まれてきた」という考えや現実も、論理的・現実的には、否定することができないというのが正しい答えとなります。
説明不足ですが、今回は、以上です。