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ワインの王様・ボルドー(6)ボルドーワインの歴史(後編)

プチ・マリアさんのコラム


ワインの王様・ボルドー(6)ボルドーワインの歴史(後編)


前回、ボルドーワインはフランス国外の方が有名だった時代もあるという話をしましたが、ではフランス国内ではどこのワインが飲まれていたのでしょうか。

フランスの宮廷では、古くはロワールワインが、17世紀のブルボン朝時代からはブルゴーニュワインが飲まれていました。

ブルゴーニュワインの産地を巡って、宮廷ではちょっとした事件があったほどです。

時は18世紀半ば、ベルサイユ宮殿。ルイ15世の時代です(ルイ十四世にとってはひ孫にあたる人です)。

ブルゴーニュワインの産地であるヴォーヌ・ロマネ村のブドウ畑が売りに出されているというので、二人の有力者が落札を巡って競り合いました。

一人は王族の一員であるコンティ公、もう一人はルイ15世の愛人であるポンパドゥール侯爵夫人。

王の歓心をさらに得るべく、この畑を買おうとしたポンパドゥール侯爵夫人ですが、コンティ公がそれを上回る大金を用意した結果、競り合いに敗れてしまいます。

結果、この畑で作られるワインは「ロマネ・コンティ」と呼ばれるようになりました。


ここまでなら単なる「超高級ブルゴーニュワインの誕生秘話」ですが、ボルドーワインが絡むのはここからです。

この事件があってからしばらく後、ポンパドゥール侯爵夫人のもとに一つのワインが持ち込まれました。

ワインの名前は、イギリスの首相・ウォルポールも気に入ったシャトー・ラフィット。持ち込んだのはリシュリューという貴族です。

世界史に詳しい方は、リシュリューと言えばフランスのルイ13世の頃の枢機卿で宰相という人物を思い浮かべるかもしれませんが、ポンパドゥール侯爵夫人の頃のリシュリューは彼の親戚というか傍系子孫です。

(枢機卿というのはカトリックの聖職者の国別トップなので結婚できず、家を継ぐ嫡子はいません)

さて、傍系子孫の方のリシュリューですが、ルイ15世の不興を買って左遷され、当時はギュイエンヌ(ボルドー近辺の古い州名)総督としてボルドーにいました。

このシャトー・ラフィットというワインをポンパドゥール侯爵夫人経由で王に飲んでもらい、その際自分の紹介だと口添えしてもらうことで王の怒りを解いてもらおうとしたと言われています。

ちなみに、何故リシュリューがシャトー・ラフィットを薦めたかというと、医者に「最上の強壮剤」と言われたかららしく、彼自身が王と対面した時にも「(ギリシア神話の)オリンポスの神々が飲む不老不死の酒のような美味なるワイン」と言っているほどです。

ポンパドゥール侯爵夫人も実際に飲んでみたんでしょう、これは美味しいということでルイ15世に紹介し、王も気に入ったことでシャトー・ラフィットは「王のワイン」とさえ呼ばれるようになったそうです。

ちなみにこの後も、ポンパドゥール侯爵夫人はボルドーワインを愛飲し続けたそうです。

その陰にはブルゴーニュワインの畑を手に入れられなかったことへの忸怩たる思いもあったとか。

何はともあれ、こうしたことがきっかけでボルドーワインはフランスの宮廷でも名声を確立し、数十年後のフランス革命の頃には既にゆるぎないものになっていたそうです。

フランス革命で「ジロンド派」というのが出てきますが、これはボルドー地方の県名であるジロンド県に由来し、実際にこの地方の富裕層(ブルジョワ)が多かったようです。

革命の進行で中央政府に没収されたり、所有者が処刑されたり逃亡したりしたブドウ畑も多かったですが、売却時に分割された畑も後になってまとめられる例が多かったようで、ブルゴーニュほど細分化はしていません。

その後、1855年の格付けを経て、メドック地区がフランス・ボルドーの代表的なワインの産地となっていき、20世紀前半のクリュ・ブルジョワ級の制定を経て、後半になって他の地区のワインもメドックのそれに匹敵する名声を獲得する、というわけです。

最近では、五大シャトーにソーテルヌ地区の貴腐ワイン筆頭のシャトー・ディケム、サンテミリオン地区のシャトー・オーゾンヌとシャトー・シュヴァル・ブラン、ポムロール地区のシャトー・ペトリュスを含めた「九大シャトー」という言われ方もあるようですね。

「八大シャトー」になると、赤ワインのみで貴腐ワインのシャトー・ディケムを除く場合と、伝統重視で70年代以降に有名になったシャトー・ペトリュスを除く場合とがあるようですが。

いずれにしても、もはや五大シャトーのあるメドックやグラーヴだけではボルドーワインを語れない時代になっているのは間違いないようです。



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