今回からボルドーに並ぶフランスワインの名産地・ブルゴーニュについて書きます。
最初に、誤解されている人がいるかもしれませんが、「ブルゴーニュ」という名前の都市はありません。
ボルドーで言うなら、アキテーヌとかガスコーニュに相当する「地方名」もしくは「地域圏名」がブルゴーニュです。
つまり、「ブルゴーニュワイン」というのは「ブルゴーニュ地方で作られたワインの総称」であり、その下にボルドーで言うような地区名・村名といった区分があるというわけです。
地方名なので指す範囲も複数の県にまたがっていて、広義のブルゴーニュ地方には、フランスの行政上の「ブルゴーニュ地域圏」ではない県も含まれています。
ブルゴーニュワインの特徴として、ブドウ畑自体が独自のAOCとして認定されているということが挙げられます。
「ブルゴーニュワインはクリマに始まりクリマに終わる」と言われるそうですが、ここでの「クリマ」とは「ブドウ畑」のことで、かなり細かく分けられ、それぞれの畑に名前がついているそうです。
更に、格付けも畑に対してなされているそうで、「特級畑」「一級畑」「それ以外の普通の畑」となっています。
この格付けの近代的起源は1855年だそうで、ちょうどボルドーの格付けが定められたのと同じ年ですが、あちらが官製というか時の皇帝ナポレオン三世の指示によるのに対し、こちらの方はラヴァル博士という個人の出した本における格付けだったそうです。
ただし、この時の彼の格付けの決め方は後にブルゴーニュワインに関するAOC制度を定めるときにかなり参考になったそうで、一個人による格付けに留まらない影響力を持つことになりました。
AOCに認定されている畑というのは、全て「特級畑」「一級畑」だそうです。他に村名・地区名にもAOCがあり、ブルゴーニュワイン全体をまとめるAOCもあります(AOCブルゴーニュと言います)。
何故、畑ごとのAOC認定かというと、この地方でワイン用に使われているピノ系の品種が、テロワール(日本語に訳するなら「風土」が最も近いでしょう。ただしテロワールは土壌に重点があります)の影響を受けやすく、育った場所次第でかなり違った味わいのワインになるからだそうです。
特級畑と一級畑の多くは、中世からの修道院や教会の所有だったものが起源だそうですが、中にはさらに古い、古代ローマ帝国の属州だった時代からの畑もあるそうで、例えば「ロマネ・コンティ」の「ロマネ」は古代ローマに由来するそうです。
フランス東部とドイツのライン川以西を指す「ガリア北東部」におけるワイン醸造に関しては、1世紀後半に書かれた古代ローマの文献に記載があり、紀元前1世紀のカエサルによるガリア征服直後の時期にはこの地方に古代ローマの植民都市が建設されていたそうで、この間の時期にワインが醸造され始めたと考えるのが自然でしょう。
ブルゴーニュはボルドーより寒いので、より寒冷地に適したブドウの品種改良をしなければならなかっただろうとは思いますが…。
何故、中世において修道院や教会がワイン用のブドウ畑を持っていたかというと、ボルドーの時にも触れましたが、教会の儀式や旅人の接待でワインが必要だったからです。
ホテル業が未発達だったので、王侯貴族でも旅行時は修道院や教会・司教の館に泊まることが多かったそうで、彼らへの接待次第で後からお礼・見返り(土地の寄進など)が期待できたため、聖職者の方も本気になってワインを作ったと言われ、裏付ける手紙などもあるそうです。
加えて、中世、特にその初期には聖職者というのはほとんど唯一の知識階級だったそうで(8世紀には王侯貴族でもまともに文章の読み書きができなかったそうです)、ブドウの栽培やワインの醸造にまつわる知識の収集・伝達も聖職者のネットワークを通じてなされていたそうです。
その後、世俗階級でも文章の読み書きができる人が次第に増え、土地を所有してブドウの栽培やワインの醸造に乗り出す人も出てきました。
この地方の歴代領主もワイン作りを保護していたようで、中世末期には栽培できるブドウ品種をピノ・ノワールに限定する法令を出した人もいました。
その後、近世に入り、フランス国王ルイ十四世のときにブルゴーニュワインは宮廷御用達になります。
上に書いたロマネ・コンティの畑(今では特級畑としてAOC認定を受けています)が、ルイ十五世のときにポンパドゥール侯爵夫人との争いを経てコンティ公に買われたのも、こうしたブルゴーニュワインの地位向上が背景にあります。
その前はサン・ヴィヴァンという修道院の所有していた畑だったそうで、ロマネ・コンティの畑の隣には、フランス革命までこの修道院が所有していた畑があります。
(後編に続く)