都会の営業マンと田舎の営業マン
以前勤めていた会社の社長が生前に使っていた表現だ。
なにも知らないでこう言われると、なんだか都会の営業マンの方がよく聞こえるが、実はとても意味深い。
その会社に在籍時、同じ営業で良きライバルだった方と久しぶりに会う機会がありました。
今はお互い独立して会社を経営しています。
さて、その時の話題の中心が「都会の営業マンと田舎の営業マン」でしたのでここで紹介します。
先代(前職の社長)は私のことを「都会の営業マン」と表現し、彼のことを「田舎の営業マン」と表現した。
どちらがすごいかというと「田舎の営業マン」である。(※地方において)
私が在籍した期間、田舎の営業マンである彼には一度も勝つことはできなかった。
毎回僅差でもない。
圧倒的な大差で負ける。
それこそ心が折れるくらい。
ある時は対立もした。
私だって東京で営業していた頃は一案件あたりの売上金額は数千万から億であり、年間十数億をこなしていた。
ところが地方に住み、地方で営業するとなると東京での経験や実績はまったく通じない。
というかお客様にすら会えなくてアウトだ。
都会の営業マンは地方ではまったく通用しないのだ。(※全国規模で地方に支店や営業所がある様な転勤とかとは別)
ただ、先代は即戦力で通用しないにもかかわらず都会の営業マンにもこだわった。
都会の営業マンは都会の営業マンにしかできない役割があると。
都会の営業マンも田舎の営業マンも会社を継続し且つ変化に対応しながら発展させていくには、どちらも必要でどちらが欠けてもいけないと言うのだ。
そうなんです。
先代は都会の営業マンと田舎の営業マンの役割をしっかり分けており、そのことを都会の営業マンと田舎の営業マンと表現し、すみ分けしていたのでした。
先代の定義によると、
田舎の営業マンは即戦力。
豊富な人脈と信頼で短期でもどんどん売上を上げていきます。
特徴的なのは、お客様は会社ではなく営業マンに紐付くケースが多く、田舎の営業マンが転職するとお客様も付いて行ってしまう傾向がある。
よく腕利きの田舎の営業マンが転職した際、後任が前任にお客様を持って行かれたという話を耳にします。
実はコレ、お客様を持って行かれたというのは後任の言い訳です。
実際はお客様が営業に付いて行きます。
それだけお客様との繋がりが個で結び付いており、逆に会社とお客様との結び付きは薄いのです。
個に依存するのでお客様と合う合わないといった面も含んでおり、万人向きではありません。
一方、都会の営業マンは会社の価値創造に力を発揮します。
その会社のブランドを作ります。
その会社に仕事を出したいという理由を作ることに長けています。
お客様と会社の絆をつくり、万人対し営業ができる体制を作るのが都会の営業マンの特徴です。
しかしながら結果を出すのにある程度の時間を要します。
このように期待されるミッションが各々違うことから、先代は田舎の営業マンには短期的で爆発的な成果を求め、都会の営業マンには中長期的な成果を求めました。
短期、中長期的な部分に各々営業をアサインすることで営業体制を強化していく予定でした。
その矢先に先代が病に倒れ経営から離れます。
会社は当然守りに入ります。
赤字続きの新規事業への投資は無くなり人や資金は短期に集中されます。
都会の営業マンも当時の役員から既存事業をするか、会社を離れるかの選択を迫られました。
都会の営業マンは得意な部分を活かすことが出来ないなら、会社を離れることを選択しました。
そして数年後独立し先代の意思を継ぎカムラックという会社を設立することになります。
田舎の営業マンもその後会社を離れ自分の会社を立ち上げました。
なんと二人は先代がその会社でさせようとしたことを独立して各々やっていたのです。
そんな二人が久しぶりに会い、当時を懐かしみ昔話に花を咲かせました。
驚いたのが、田舎の営業マンは先代が田舎の営業マンという表現を人伝には聞いていたが、意味が伝わっておらず、ただの皮肉として伝わっていたことでした。
これはびックリでした!きちんと伝わっていればもっと違う結果になっていたかもしれません。
そんな誤解も溶け、当時対立した理由も謎もわかりました。
そして近々二人で先代のお墓参りに行くことも約束しました。
そういえば先代はよく私に田舎の営業マンの土俵で勝負するな、戦う場所が違うし戦う相手ではないと言いました。
周りにも同じフィールドで二人を評価するなと言っていたそうです。
墓参りの際はいろいろと先代に報告とお詫びをせねば^^;
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